量子力学

原子爆弾が広島と長崎に落とされ 多くの人命が失われた そのもとを手繰ると 多く量子力学の研究者たちにたどり着く ハイガーロッホで原子炉の開発をしていたハイゼンベルク ハイゼンベルクから原子炉についての相談を受けたボーア ボーアがハイゼンベルクから渡された原子炉の設計図を見て  アメリカでの原爆開発を提唱したアインシュタイン その他にもヨーロッパじゅうの物理学者たちが  そしてアメリカの物理学者たちが  原子爆弾の開発に関わった でもそういった研究者たちは ひとり残らず  量子力学の勃興期を彩る人たちで  果たした役割は大きく 存在がが面白い そして研究者たちの交わり方が  量子力学の方向性を決めていった 人間関係には年齢の差が結構大きな要素になっていて  ハイゼンベルクはボーアより16歳も若かったから  関係はやはり師弟ということになり  ボーアとハイゼンベルクがシュレーディンガーから  話を聞き出そうとする時も  シュレーディンガーより2歳年上のボーアが主に話をし  ハイゼンベルクは脇で聞いていたようだ ハイゼンベルクがボーアのところに行くのは  師を訪ねて行って  いろいろ相談するという感じが抜けなかっただろうし ボーアがアインシュタインと話すときには  対等な感じだったというけれど  6歳半上の人と接しているという感じが  付きまとったに違いない それほどユダヤ人ぽくなかったにしても  やはりユダヤ人としかいえないアインシュタインと  母親がユダヤ人だったボーアは  ともにナチスの台頭によって人生を狂わされる ボーアへの愛情や感謝もあって  ユダヤ人研究者たちを擁護する立場を取り  ドイツの物理学者たちから  白いユダヤ人と揶揄されたハイゼンベルクもまた  ナチスの台頭によって人生を狂わされた一人といえる アインシュタインの同僚で  やはり白いユダヤ人と揶揄されたシュレーディンガーも  ナチスの台頭によって人生を狂わされた デンマークのコペンハーゲンで教えていたボーア オーストリアのウィーンを拠点としていたシュレーディンガー スイスのチューリッヒで頭角をあらわしたアインシュタイン そしてドイツのミュンヘンからコペンハーゲンのボーアのもとに移り  多くの論理の飛躍をおこなったハイゼンベルク その後 4人とも居場所を追われ  なかなか大変な人生を送らざるを得なくなったにしても  4人ともそれぞれの場所が生み出した精神性を  色濃く持ち続けたことに驚かされる シュレーディンガーは 人を魅了する  広い範囲のことに興味を持ち 文学にも造詣が深く  物理学だけでなく生物学にも化学にも精通していたという  すこし前時代的な巨人だ アインシュタインは大学入試には落ちてしまうとか  確率論が理解できないとか  専門以外はあまり芳しくない  20世紀的な専門家だったのだろう ボーアとハイゼンベルクの語らいは  想像するに とても楽しいものだったように思える  それは違うんじゃないか じゃあどうなんだ というような  科学者らしい語らいだったに違いない  そのなかに 多くの矛盾 と 多くの飛躍 があったにせよ  それこそが科学なのだという感じだ  そんないいものが 原子爆弾というもので穢される  ボーアとハイゼンベルクが戦後会わなくなったのも  悲しい 想像のなかにいるのは  ハイガーロッホという黒い森のど真ん中にいても  量子力学のことを考え続けているハイゼンベルクだ ハイゼンベルクにとって ボーアに会いにいくということは  量子力学について ああでもない こうでもない と  語らいに行くことだったはずだ  そのなかで原子爆弾のことを話題にしたとしても  それは2次的なこと  あまり大事なことではなかったはずだ ハイゼンベルクという、ある意味天才にしてみれば  量子力学のほうが  原子爆弾よりもはるかに大事だったのではないだろうか  そのことは ボーアにも アインシュタインにも言える シュレーディンガーは  思考の向かうままに 毎日を楽しんだ  シュレーディンガーが原子爆弾にかかわらなかったのは  偶然ではない